俺の言葉のゆりかご

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【恋愛】生まれてきたくなかった。でも恋愛したいし、パートナーもほしい!

私は生まれてきたくなかった。

いままでそうずっと感じて生きてきたし、これからもこの感じは変わらないだろう。

とはいえ、30年近くあまり生きてきて、

変わった部分もある。

それは、私が存在し、「この私」であるということに対して、

親の責任は「もうない」ということである。

こう感じる私、こうなった私の責任は100%親の育て方ではないだろうし、

親も、自分の子供がこんなことを感じる人間になることは

望んでいなかっただろう。

 

かつて私は、「なぜ私は勝手に産まれさせられたのだろう?

私は生まれてきたくなかった」と心の中でつぶやいて、

世間や親や全宇宙を呪っていた。

この世のすべてに憎悪を感じていた。

 

しかし、親も「この私」になるということは想定外であっただろうし、

子供に産んだことを憎まれることなど思ってもいなかっただろう。

ふつう、人が親を憎むときというのは、

自分の人生が思い通りにならないときである。

今の人生が生き辛いからこそ、その直接の発生原因である親を憎むのである。

 

「親に虐待された人」の苦しみは分からない。

「親に見捨てられた人」の苦しみも分からない。

私は特に悲惨な家庭環境で育ったわけでもないのに、

いつしか親に憎悪を抱いていた。

そう思う理由の中には、もちろん自分の生き辛さがあった。

社会的に生き辛い自分。

例えば仕事が続かないとか、人間関係をうまくこなせないとか、

職場で浮いてしまうとか、モテないとか・・・

いや、それがほとんどだったと言ってもいい。

 

つまり、「ふつう」に生きられないから、親や他人が憎かった。

けれど、こうして30年近く何とか生きてみて思うのは、

私は人生そのものが嫌だから「生まれてきたくなかった」のだと思う。

たとえ今の私が、社会的にありとあらゆる点で

人より優位な状況に置かれているとしてもこの思いは変わらない。

人生がこういうものだと予め知っていたら、

私は産まれることを選択しなかっただろう。

 

生きていると、うれしいことも、悲しいこともある。

そのほとんどは同じようなことの繰り返しで、

地味な面倒くささや、絶えることなく沸いてくる悩みごとなどである。

そうした日常の中に、ぽつぽつと楽しいことや喜びを感じる出来事が起こる。

 

家族との団欒、何かを成し遂げたときの達成感、自然に触れているときの

安らぎ、仕事を終えた後の一杯。

 

けれど、私はこういうすべてが「もういい」と思ってしまう。

正確には「もういい」というよりも、「分かった、分かった!!」と叫びたくなる。

 

例えば、私がこれから最愛のパートナーと結婚し、

健康で経済的にも豊かになり、使命に目覚め、

楽しい人々と過ごし、打ち込める趣味を得て人生を送ったとする。

でも、こういう希望に満ちた将来を想像してみても、

私は「それでもやっぱり、人生って虚しいよなぁ・・・」と思ってしまう。

そして「産まれる前が一番よかった」とか「無が一番いい」と思ってしまう。

他人と比較した中で生じる相対的幸福のすべてを手に入れても、やはり虚しい。

 

思えば、なぜ人生は「こうなっている」んだろう?

なぜこういう構造の中で、人は生きていかなければならないんだろう?

皆目分からない。

こうして私はこの地点でうずくまっている。

おそらくこの悩みを発展させるヒントは

哲学や宗教や心理学、文学、芸術などにあるのだろうと思う。

でも、やはり何をしても「生まれたくなかった」というつぶやきは

消えないのではないかという気がしてしまう。

 

あぁ、それにしても、これからあと40年近く(70歳ごろまで生きる予定)

生きていかないとならないのかと考えると、

ものすごくアホらしく感じるときが定期的にある。

時間に追われる日常のふとした狭間に、

こういった生きる気力を失わせる考えにとり憑かれる。

こういうことを考えていると、恐ろしく生きる気力を吸い取られてしまうから、

なるべく考えないようにしているが、また沸いてくる。

 

おそらく、私の体内には、強烈な毒を発する何かがあって、

それは何をしようが消えないのだと思う。

できることと言えば、こうして時折、

何らかの表現を通して吐き出すことでしかないのだと思う。

世の中にはそういう毒を抱えて生きる人が、

一定数どこの国にも存在していて、

「ふつう」に生きられたからとか、

「人並み」になったからといって、それは解消するわけではない。

 

けれどこう考えるときもある。

最愛のパートナーと暮らしていくうちに、

そういうことを考えなくなるのではないか?

しかし私は、完全に消し去るのは難しいと直感的に感じる。

人生は愛がすべてではないと思っているからだろう。

愛とは日常を生きやすくしてくれる肯定的なもの。

でもそれは人生の不条理や苦を消し去るものではない。

 

昔、ものすごく高いお金(2万円)を払ってカウンセリングを受けたことがある。

そのときに、「抑圧したものをすべて吐き出したからといって、

何でもかんでもうまくいくわけではない」と言われた。

今となっては、その通りだと思う。

自分の心の葛藤を引き起こす悩み。

それらをすべて他人に受け入れてもらったり、聞いてもらったところで、

人生につきまとう色々な面倒くささや虚しさが解消するわけではない。

フロイトだろうがユングだろうがアドラーだろうが、

どんな名医にカウンセリングを受けても、

あくまで、以前の自分より生きやすくなるだけである。

以前の自分より、日常の悩みや問題を乗り越えていきやすくなる。

それだけである。

 

「実存にまで深く食い込んだ自分固有の悩み」と

どう関わっていくかは自分しか決められない。

だから私のような人間は「とりあえず毒を吐く」を繰り返して生きていくしかない。

自分が生きやすくなるように、日々地道な努力を重ねていくしかない。

 

と、書いてきて思ったのは、

それでも私は「パートナーがほしい!」と思った。

俺も恋愛や結婚がしたいのだ!

 

変なオチですいません。