俺の言葉のゆりかご

ネット制限によってワクワクを取り戻す!

ネット依存から抜け出し始めると、人生が少しずつ楽しくなってくるのはなぜか?

今日でネット依存に関する記事はこれで当分控えようと思う。

ネタがなくなってきたこともあるが、

もうこれだけ書けば、十分だろうと思ったからだ。

これだけ書けば、ネット依存で苦しんでいる人が、いつかこのブログを訪れたとき、

何かしらのきっかけを与えられると思っている。

 

ということで、今日は「俺言葉」でフランクに書いていく。

 

早速だが、今日のテーマの答えを言うと、

「その人間がネットに向いていなかった、

ネットを有効利用できる技術が身についてなかった」からに尽きる。

だからその向いていないことをやめれば、日常が好転していくに決まっている。

少なくとも、ネットばかりしていた頃より、数段マシになること間違いなしだ。

 

自分はネットに向いていない。

ネットを使うことが下手くそだ。疲れる。虚しくなる。自己嫌悪になる。

ネットを使ってろくなことをしていない。

一日中ネットの前にいる。

 

こういう愚か者は、もうネットに向いていないことは明らかだ。

ネットを終えたあとに沸きあがってくる負の感情がそれを証明している。

そのままの生活を続けても、ほぼ100%何も変わることはないだろう。

そのまま生きていたら、廃人になる可能性は極めて高い。

 

俺はネットは現代の玉手箱だと思っている。

浦島太郎は玉手箱を開けて、じいさんになっただけで済んだが、

ネットに逃避し続けた最後に待っているのは、

単なる身体的な老化だけではない。

後悔、虚無、自己嫌悪、自己不信、怒り、見栄、病的に膨らんだプライド、

劣等感、感情不安定などで心が一杯になる。

 

ネットをただ漠然と、暇つぶしに、だらだらだらだらしている人間は、

こういう負の遺産を心にまとってしまう。

なぜか明確な目的を持たずにネットをすると、

ろくでもない情報にしか出会えない。

というか、いい情報があっても素通りするか、心に響いてこない。

 

「ネットは現実を拡大したものに過ぎない」とある著名人が言っていたが、

これは当たっている。

四六時中無目的にだらだらネットしている人は、

根本的な生き方が「だらだらどうでもいい日常」になっている可能性が極めて高い。

目標も特にない。変わりたいという切実な願いもない。理想もない。

「周囲の平凡」にとけこめていればそれでいい。

ネットをだらだらする人は、現実でもだらだらしているのではないだろうか?

もしくは自分を見失っているかもしれない。

 

もちろん、死ぬまでネットやデジタル空間に慰めと安心を求める生き方も

一つの生き方だ。

しかし、この生き方を本当に肯定できるのだろうか?

ギャンブル依存者は、本当にその生き方を肯定できるのだろうか?

アルコール依存者は、本当にその生き方を肯定できるのだろうか?

DVをする男は、その行為を信念にして、生涯貫徹できるだろうか?

俺には不可能だと思う。

もし、それを貫徹できたとしても、

その人間は自他を恨み、憎しみを募らせて、死んでいくに違いない。

しかも今より自分はよくなれる道があったことを知りながら…

 

ギャンブラーも、酒飲みも、DV男も、

自分が死ぬほどの思いをすれば変われたかもしれなかったのだ。

少なくともその道は常に用意されていた。

 

ドストエフスキーの「罪と罰」の主人公は、

金貸しの老婆をクズとみなし、殺害した。

しかし、自分が虫けら同然だと思っていた他者を殺した途端、

精神的におかしくなり始め、徐々に崩壊していった。

主人公は老婆と同じく、自分も虫けらであったのだ。

また、自分の良心を乗り越えるだけの器は主人公になかった。

 

これと同じように、俺たち庶民も

どれだけ自分をクズと思おうが、無駄である。

そのクズな部分を見ないよう、考えないようにしても無駄である。

そのクズな自分を抹殺する行為、だます行為をしても無駄である。

 

「だからこそ」真剣に生きていかねばならない。

どうせ何をやってもごまかせない部分が自分の内側に存在する。

ほとんどの庶民には、

自分で自分の心をだまし続けるだけの器はない。

悪の道に堕ち続けるだけの力はない。

 

ネットをだらだらしている自分をいくら肯定的に捕らえようとしても、

こういう自分を改めたいという葛藤からは逃れることはできない。

 

人には自分をだませる限界線なるものが存在する。

離婚する夫婦が「これ以上は無理だ!」と思うようなラインである。

 

俺の場合、このラインを自覚してようやく自宅のネットを解約することができた。

そして今、本当にネットを解約してよかったと思っている。

筋トレを始めたり、映画に行ったり、女性を食事誘う勇気がもてたり、

自分の好きなことを大切にする時間が増えた。

でも、たとえ現実の自分が何も変わらなくてもやめてよかったと心底思える。

 

ネットをやめても、何ひとつ現実は変わらなかった。

もしそうなっていたとしても俺はやめてよかった。もう自宅にネットは要らない。

 

例えば、俺は最近引越しを考えているが、

賃貸物件の「ネット使いたい放題」、「ネット無料」とかの利点は

俺にとって、もはや有害でしかない。

 

ギャンブルをやめても何も現実は変わらなかった。

アルコールをやめても何も現実は変わらなかった。

タバコをやめても何も現実は変わらなかった。

出会い系サイトをやめても何も現実は変わらなかった。

SNSをやめても何も現実は変わらなかった。

アダルトサイトの徘徊をやめても、何も現実は変わらなかった。

もしそうだとしても、あなたがこれらを心底楽しめていないならば、

適切な関わりがもてないならば、やめるべきなのだ。

 

最後に、読者諸賢にこの言葉を浴びせて、

これでネット依存に関する記事を一旦終了する。

 

「誰しも辛い経験をしたとき、心が弱っているときはネット依存になりやすい。

俺もそうだったから分かる。

でもな、ある程度心が回復したら、そこから出てくるべきだ。

いつまでもいつまでも自分をだますことはできないぜ!

だから、早いうちにさっさとネットを解約しろ!今すぐガラケーに変えろ!

お前は自分の傷が癒えてもネットにハマっている。

それはお前にネットが向いていないことのまぎれもない徴候だ。

お前にネットを使うスキルがないことの証明だ。

お前がネットにハマれるのは依存症だからだ。

それを勘違いして、ゲーマーやブロガーになる適性があると思うなよ。

断言しよう。今日縁あって俺のブログに辿り着いた以上、

今のお前にはネットは必要ない。

だから、本当に本当にネットでしたいことが出てくるまでネットを触るな!!

なんとしてもネットであれに挑戦したい!

ネットのあれが気になって気になって仕方ない!

ネットであれをしなければ、一生死ぬまで後悔するということが

自然にお前の心から沸いてくるまで、ネットに触るんじゃねぇ!

仮想空間は劣化しない。心配しなくても、ネットの世界にはいつでも戻ってこれる!

だがな、外の現実はもう戻ってこない。常に変化している。

だからこそ現実に戻れ!とにかく今は現実に戻れ!

そして家事をしろ!部屋を片付けろ!ゆっくり風呂に入れ!映画を観ろ!

おしゃれをしろ!旅行に行け!運動しろ!本を読め!

好きな物を食べろ!恋をしろ!生きろ!

お前がネットを解約しても失うものはないが、

ネットをし続けて失うものは山ほどあるんだ!」