俺の言葉のゆりかご

ネット制限によってワクワクを取り戻す!

恋愛に奥手で、自信も勇気もない男の片想いは、悲劇を演じる一人芝居の名俳優のようだ。

今日も仕事終わりに役場からこんばんは!

どうも、俺です。

 

ようやく、片想いの熱がおさまってきた。

・・・と言いたいところですが、んなわけはない。

 

以前として、相手のことが四六時中浮かんでくる。

最近ブログの記事が恋愛もどきの記事ばかりなので、

今日は違う記事をと思ったが、せっかく恋の渦中にあるなら、

「いま」しか書けないことがあると感じ、

また片想いの記事にした。

 

それにしても、この三連休明けの一週間の胸の締め付けは

かなりきついものがあった。

特に朝の目覚めと共に、胸がどきどきしてとても切なくて、

さみしくなり、いたたまれない気持ちになる。

 

なぜか、付き合ってもいないのに、

彼女がどこかにいってしまうのではないか?

職場を異動したり、転勤してしまうのではないか?

ほかの男に取られるのではないか?

 

そういう悲観的な事柄ばかり心に浮かんできて、

ものすごく悲しくなる。

 

日頃、会社では、彼女との会話もなく、

接点はほぼゼロにも関わらず、

むしろ好意がばれて相手にすらされていないのに、

俺の一人芝居による悲劇はどんどん過激になっていく。

 

「一喜一憂」という格言があるが、

今の俺は、「一喜百憂」という言葉がぴったりだ。

 

一人で勝手に考えて、勝手に自分の心をぐさぐさ傷つけている。

 

なにひとつアクションを起こしていないにも関わらず、

起こせないにも関わらず、

延々と妄想と悲劇のナイフで自分を刺しまくっている。

 

俺の目には、彼女の取る言動のほぼすべてがネガティブに映って見える。

これは俺が恋愛に自信がない(女性と接する場数が圧倒的に少ない)から

だと思うが、それにしても我ながら滑稽極まりない。

しかもそう分かっていても笑えないのだから余計に滑稽だ。

 

今日、彼女が俺に仕事上の連絡をしてくる時、相手の声が震えているように

感じた。これは俺の普段の振る舞いから自分の好意が伝わっているから、

その反動の嫌悪と恐怖で声が震えているように感じた。

いや、そうとしか思えなかった。

 

 

現実がどうなのかは分からない。

 

 

俺を嫌悪しているかなんて、彼女にとってはどうでもいいのだと思う。

たぶん確実にどうでもいい存在なのだと思うが、

俺はもう彼女の言動をありのまま捉えることができなくなった。

 

彼女に対してのみ、うつ病のような感じになってしまっている。

彼女が仕事をしている姿を見るたび、彼女の存在を近くに感じるたび、

俺は自分が否定されているように感じる。

 

それでも彼女のことが中々消えない。

「今日は仕事に徹する。ただそれだけでいい。ただそれだけでいいんだ!」と

何度も何度も自分に言い聞かせても、

自分が作り出した「彼女の視線」はいつも俺を見ている。

このまなざしは仕事中消えることがなく、

今はそれが一番辛い。

 

仕事中、彼女の視線が耐え難くなったとき、俺は自分にこんなメッセージを送る。

「こんなに傷ついているんだ。もう一人芝居をして自分を傷つけなくても

いいじゃないか。彼女は君を見ていない。恋愛だけが価値じゃない。

女なんて下等動物だと思って、見下ろす立場から扱えばいい。

俺らしくないぞ!」と自分の内なる優しくたくましい自分が叫ぶけど、

なぜか彼女の存在が自分に近づけば近づくほど、

心の奥深いところが苦しくなる。

 

彼女の何気ない平凡な態度が、自分を傷つける。

彼女の微笑が、俺に劣等感を与える。

彼女の挨拶や感謝の言葉が、遠まわしの敬遠の合図を送っているように感じる。

 

 

あぁそれにしても、妄想と悲劇的なこの片想いから自由になれたら

どんなにいいだろう。

 

もしも、恋愛に積極的な男を演じられたらどんなに楽だろう。

「この自分」を束の間離れて、恋に勇気と自信を持った男としての自分を

信じられたらどんなに楽だろう。

 

そして、もしも、彼女とドライブに行けたらどんなに楽しいだろう?

 

もしも、彼女と映画に行けたらどんなに楽しいだろう?

 

もしも、秋の夕暮れに、(俺の大好きな)犬の散歩を彼女と一緒にできたら

どんなに楽しいだろう?

 

もしも、彼女と二人っきりの残業をして、気さくに打ち解けながら仕事ができたら

どんなに楽しいだろう?

 

もしも、彼女の笑顔や振る舞いを、俺に対する好意や恥じらいに思い込めたら

どんなに楽しいだろう?

 

もしも、俺の家で、彼女が俺の膝の上に乗りながらDVD鑑賞ができたら

どんなに楽しいだろう?

 

もしも、俺の家で彼女と一緒にたこやきを作れたらどんなに楽しいだろう?

 

もしも、彼女と温泉旅行に行けたらどんなに楽しいだろう?

 

もしも、デートの食事のあと「じゃあ、また明日会社で!」と伝えられたら

どんなに楽しいだろう?

 

もしも、俺の部屋に彼女の髪の香りが満ちたらどんなにうれしいだろう?

 

もしも、彼女が俺のいつも使っている枕で安らかに眠ってくれたら

どんなにうれしいだろう?そして俺はその寝顔をずっとみて寝落ちする。

そんな一夜があったらどんなに幸せなことだろう?

 

 

でも、そんな日々はひとつもやってこないのだ。

この先ずっとこういう日常はありえないのだ。

 

齢30代前半になった俺。

これから俺はずっとこんな人生を送っていくのだろうか?

恋愛に関しての殻を破れず、ちぢこまった自閉的な人生を歩んでいくの

だろうか?

街行く恋人たちを妬み、彼らを見るたび自分が傷つく人生を送っていくの

だろうか?

孤独を友として、会社と家の往復だけをする人生を送っていくのだろうか?

 

彼女は俺に何を教えてくれただろう?

これほど自分を傷つけざるを得ない自分の自信のなさとは何なのだろう?

 

俺は彼女への片想いから何を学べばいいんだろう?

 

俺はもう逃げてはいけないのではないか?

恋愛に対する劣等感を死に物狂いで克服しなければならないのではないか?

人生30年近くも生きてきて、まともに彼女ができたこともない俺は、

そろそろ真剣な選択を迫られている気がする。

いや、もうごまかしてはいけないのだ。

 

だが、俺にそんな勇気があるだろうか?

分からない。

でも少なくとも、妄想と悲劇の主人公からは卒業しなければならない。

たとえ死ぬまで異性に恵まれなかったとしても、

この舞台から飛び降りねばならない。

 

では長くなったが、

冒頭に述べた「一喜百憂」の格言の、

そのたった一つの喜びが何かを教えて終わりにしたい。

 

俺がこの片想いをしてうれしかったこと。

それは真の意味で「他人」に出会えたことのような気がする。

 

これまで自閉的で内省的な人生を歩んできた俺にとって、

他人はそれほど内に響いてこない存在だった。

自分を守ることばかり、傷つかないことばかり考え、

他人に対して身構え、緊張しているから、

人の優しさや思いやりが、心に染みわたってこなかった。

 

でも今はなぜか彼女の存在や言動のすべてが俺の心に届いてくる。

彼女の笑顔や、仕事上の何気ないコミュニケーションのひとつひとつが

心に達してくる。

妄想的であれ、悲観的にであれ、彼女は俺にとっての大切な他人なのだ。

 

それがこの片想いが与えてくれた一つの喜びだ。

 

では最後までご哀読ありがとう。

また来週!