俺の言葉のゆりかご

ネット制限によってワクワクを取り戻す!

【㊗ネット制限34日目達成!!】人生は無意味、しかしだからこそ生きていていい。

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パグ 著作者:tinto

 

㊗ネット制限34日目達成!!

一ヶ月達成したぜ!とはいえまだまだ継続していくぞ。

 

人生の無意味さの虚無・・・それから

今日は真剣なテーマである。

書くことが浮かばなかったから、今日自分が死ぬと仮定して

テーマを考えてみた(現実に死なねぇぞ!)。

そしたらこのテーマが浮かんできた。

つまりこれは遺書である。

 

それにしても人生は無意味だ。

何をしようが無意味だ。

仕事も恋愛も、思想も、科学も、ささやかな日常も何もかも無意味だ。

 

俺は昔からそう思いながら生きてきた。

 

20代は特に辛かった。

人生の無意味さが与える虚無。あの圧倒的な徒労感に引き続き沸き起こる無気力感。

虚無に満ちた人生に対する憎しみと怒り、哀しみ。

人生の無意味さを思うとき、不快な感情しか沸いてこなかった。

 

しかしこう思うときもあった。

「俺が辛いのは自分の人生がおもしろくないからか?

生きるのが辛いのは、俺が現実から逃げているからか?

人生の無意味さは人生に挑戦しない言い訳の一つになっているのか?」

 

たしかにそういう面もあった。

でも、それでも人生はやはり無意味だ。

俺の人生が無意味でもあるが、人生そのものもまた無意味なのだ。

俺の生き方に無意味さのすべての原因はない。

 

今日までこうした思考を繰り返し、なんとか生きてきた俺は、

とにかく自殺せずにこられただけでも最高な男だ。

ニヒリズムに呑まれず、なんとか今日まで生きてきた。

 

そして一つの変容が起こった。

人生の無意味さの変容である。

俺は無意味さの苦悩の中、10年近く今日まで過ごしてきたが、

人生の無意味さの感じ方が少しずつ変容してきたのである。

 

もちろん相変わらず人生は無意味である。

しかし、無意味さの表層を一つ抜けた気がしてきた。

以前まで、無意味という言葉で沸きあがっていた感情は、

虚無や無気力だった。

それが俺の生きる気力を奪っていった。

また、その感覚が俺の生きる言い訳ともなっていた。

 

けれど長らく人生の無意味さを見据えて生きていると、

「人生が無意味だからこそ、生きていてもいいのだ」

と思うようになった。

 

人生が無意味だからこそ生きていていい。

言い換えればそれは、

俺の人生がつまらなくても、惨めでも、情けなくても、臆病でも、なまけていても、

愛されなくても、人に好かれなくても、優しくなくても・・・つまり特別に

幸福じゃなくても生きていていいということでもあった。もちろん幸福でも。

 

ネットサーフィンにハマって虚無の生活を送るのもいいし、

ネット制限して充実した人生を送ろうとするのもいい。

 

人生の無意味さは依然として過酷な面を俺に突きつける。

でも少しだけ優しくなった。

人生は少しだけ俺に優しくなった。

 

思えば、今日まで生きてきた俺は、

人生は楽しまなければならないと力んでいた。

好きなものがなければならないと力んでいた。

友達や恋人がいなければならないと力んでいた。

「まとも」でなければならないと力んでいた。

 

だが、その思いは反動的に俺の人生を余計に辛いものにしていた。

たとえニヒリストの俺といえども、人並みの人生を渇望していたのである。

いや、筋金入りのニヒリストほどそういう欲望が強い。

 

でもこれからはそういうことはあまり気にせず、

生きていこうと思う。

 

人生の無意味さはその表層をなぞっているだけでは、

いつまでも不快な苦悩のままだ。

けれど臭いものにふたをせず、無意味さを日々の日常の中で

見据え続けると、言葉の持つ「概念そのもの」が変わり得る。

 

そしてそれは人生を生きるための少しばかりの明るさと安らぎを生む。

暗闇の中に光が生まれるのではなく、暗闇がより深くなることで

周囲が明るく見えてくる。

「目が慣れる」という感覚に近い。

 

これが人生の無意味さを見据え続けてきた僕の実感であり、

この世に残す最後の言葉である。

 

あぁそれにしても人生なんてもううんざりだ!

もう二度とお前とはごめんだ!

じゃあな!!